部民(べみん・べのたみ)は大和朝集運廷の奴隷だった。
 と先生は言いました。

 どうも怪しい。
 部民制は朝廷が統治するための政治組織らしい。
 正倉院にも多くの人名が残されていることからも、
 重要な組織だったと思われるわけで、専門の部署みたいだ。
 奴隷? なんか違う感じがする。

 どっちにしろ、律令制ができて廃止された。

 人間の売り買いが全くなかったかというと、そうでもないらしい。
 しかし西洋の奴隷制度とは違い、がっちり固定化された制度ではない。
 表向きは大宝律令でも養老律令でも禁止されていたので、密売である。
 「山椒大夫」みたいなのが居たらしい。

 江戸時代も禁止されていたので、前払いの年季奉公という体裁がとられた。
 大飢饉の時などは、けっこうな身売りがあったんだとか。
 ありそう。
 生き延びるための苦肉の策? みたいな。


 日本人がガチで奴隷になったのは、戦国時代。
 ポルトガルが、大勢の日本人奴尖沙咀酒店隷をヨーロッパに輸出した時だ。
 九州あたりの人がずいぶんと連れて行かれたらしい。
 ローマ教皇が、ポルトガル王に異教徒の奴隷化を許可したんだってさ。